2040年、ジャカルタ―未来から振り返る(2040年に居るわたしから・・ちょっと未来のお話しです・・・想像をはたらかせて読んでみて下さい)
2040年1月、私はインドネシア・ジャカルタの高層ビルの会議室にいました。
窓の外には、かつて渋滞と大気汚染で有名だったジャカルタの街並みが広がっていますが、今ではすっかり様変わりしています。電気バスが静かに走り、ビルの壁面には垂直農園が広がり、街路樹の下では子供たちが笑っています。
会議室には、ASEAN各国の環境ビジネスリーダーが集まっていました。タイからは、第3話で紹介したBCG政策を推進してきた政府高官(今は民間企業の会長)、ベトナムからは、かつて第2話で取材した廃プラ処理工場の若手技術者(今はASEAN最大のリサイクル企業のCEO)、フィリピンからは、第8話のマニラ湾プロジェクトを率いていたNPO代表(今は国連の環境プログラムのアドバイザー)。
そして、日本からは、2026年に「市場調査から始めよう」と背中を押した、あの中堅製造業の若手社員(今は同社の取締役、ASEAN事業本部長)。
私たちは、この会議で「アジア循環経済20年の軌跡」を振り返り、次の20年の展望を議論していました。
私は、2026年に書いた10話のnote記事を、スクリーンに映し出しました。
「皆さん、覚えていますか? 2024年、ASEAN循環経済市場は500億ドルでした。あの時、私たちは『2030年に1,200億ドルに成長する』と予測しました。実際はどうだったか?」
スクリーンに、2030年の数字が表示されます。
「1,500億ドル。私たちの予測を25%上回りました」
会場から拍手が起きました。
「そして、2040年の今日、ASEAN循環経済市場は、3兆ドルに達しています」拍手が大きくなります。しかし、私は手を上げて、拍手を制しました。
「でも、本当に重要なのは、金額ではありません。この20年間で、私たちが『何を変えたか』です」
私は、スクリーンに一枚の写真を映し出しました。2025年、ジャカルタ郊外のゴミ山で、裸足の子供たちがプラスチックを拾っている写真です。
「これが、2025年の現実でした」
次に、2040年の写真を映し出しました。同じ場所に建つ、最新鋭のリサイクル工場。清潔な作業服を着た従業員たちが、AIを活用した選別システムを操作しています。工場の隣には、従業員の子供たちが通う学校と、緑豊かな公園があります。
「そして、これが2040年の現実です」
私は、深呼吸をしました。
「この15年間、私たちは、ただビジネスをしてきたわけではありません。私たちは、アジアの未来を、一緒に創ってきたのです」
2025-2040年の軌跡:何が変わったのか

変化1:「技術移転」から「共創」へ
2025年、日本企業のASEAN進出は、ほとんどが「技術移転」モデルでした。「日本の優れた技術を、ASEANに持っていく」。このモデルは、一定の成功を収めましたが、問題もありました。日本企業は「教える側」、ASEAN企業は「学ぶ側」という上下関係、日本の技術をそのまま持ち込むため現地適応に時間がかかる、ASEAN企業の主体性・創造性が育たない、という課題がありました。
2040年、日本企業とASEAN企業の関係は、「共創パートナー」に変わりました。例えば、2035年に誕生した「ASEAN-Japan Circular Economy Innovation Hub」(AJCEIH)。これは、日本の技術力、タイの政策実行力、ベトナムの生産力、インドネシアの市場規模、シンガポールの金融力を結集した、ASEAN初の国際共創プラットフォームです。
2037年、日本の化学メーカーとタイのバイオ企業、ベトナムの農業企業が共同で、「トロピカルフルーツ廃棄物を原料とするバイオプラスチック」を開発しました。この成功の鍵は、「日本企業が教えた」のではなく、「3カ国の企業が、それぞれの強みを持ち寄って、共創した」ことです。
変化2:「環境ビジネス」から「社会インフラ」へ
2025年、循環経済ビジネスは、「環境ビジネス」として、経済活動の「一部」でした。2040年、循環経済は、ASEAN社会の「インフラ」になりました。
2032年、ジャカルタは「2040年ゼロウェイスト都市」を宣言しました。これは、単なる環境目標ではなく、都市インフラの根本的な再設計です。IoT搭載の自動収集システム、AIとロボットが24時間稼働する選別施設、100%リサイクルを実現するリサイクル工場、水素に転換するエネルギー回収システム。この計画により、ジャカルタは2038年に、廃棄物埋立ゼロを達成しました。
そして、驚くべきことに、この循環経済インフラは、ジャカルタに年間100億ドルの経済的利益をもたらしています。廃棄物が「コスト」から「資源」に変わったのです。
変化3:「日本企業主導」から「ASEAN企業主導」へ
2025年、ASEAN環境ビジネスの主役は、日本企業でした。2040年、ASEAN環境ビジネスの主役は、ASEAN企業に変わりました。
2030年、ベトナム・ホーチミンで創業したスタートアップ「GreenTech ASEAN」は、2040年現在、時価総額500億ドル、ASEAN最大の環境テック企業に成長しました。創業者は、2025年に第2話で取材した、あの廃プラ処理工場の若手技術者です。彼は、日本企業との協業で技術を学び、2030年に独立しました。
そして、驚くべきことに、GreenTech ASEANは、2035年から日本に逆進出し、日本の自治体に技術を提供しています。「技術移転」の方向が、完全に逆転したのです。
変化4:「経済成長 vs 環境保護」から「経済成長 = 環境保護」へ
2025年、多くの人々は、「経済成長」と「環境保護」をトレードオフ(二者択一)と考えていました。2040年、「経済成長」と「環境保護」は、トレードオフではなく、「同じもの」になりました。
第3話で紹介したタイの「BCG経済」は、2025-2040年の15年間で、劇的な成果を上げました。GDP成長率年平均6%、CO2排出量2025年比で50%削減、失業率2%、所得格差大幅改善。つまり、タイは「環境を守りながら、高い経済成長を達成した」のです。

【図表1:2025年→2040年の変化(4つの軸)】
2040年の「成功の象徴」:3つのストーリー
ストーリー1:「ゴミ山の少年」が「リサイクル企業CEO」になるまで
アディ(仮名)は、2025年、インドネシア・ジャカルタ郊外のゴミ山で、プラスチックを拾う13歳の少年でした。学校には行けず、1日10時間、裸足でゴミ山を歩き、プラスチックボトルを拾って、1日300円を稼いでいました。
2028年、アディの住む地区に、日本企業とインドネシア企業の合弁リサイクル工場が建設されました。アディは、16歳で工場に就職しました。工場では、選別作業を担当しました。給料は、ゴミ拾いの3倍。そして、工場は「従業員教育プログラム」を提供していました。アディは、夜間学校で中学・高校課程を学びました。
アディは、猛勉強の末、2033年にインドネシアの工業大学に進学しました。大学では、環境工学を専攻。リサイクル技術、AI、IoTを学びました。卒業後、アディは元の工場に「技術者」として戻りました。
アディは、2038年、29歳で起業しました。事業内容は、「小規模リサイクル工場向けのAI選別システム」。アディの会社は、瞬く間に成長しました。2040年現在、ASEAN全域で500の工場に導入され、年間売上50億円を達成しています。
アディは、2040年、自社の利益の10%を「ゴミ山の子供たち」への奨学金に寄付しています。「かつての僕のような子供たちに、チャンスを与えたい」
アディは、インタビューでこう語りました。「2025年、僕はゴミ山で、絶望していました。でも、循環経済ビジネスが、僕の人生を変えました。僕は今、幸せです。そして、次の世代の子供たちに、同じチャンスを与えたい」
ストーリー2:「専業主婦」が「環境起業家」になるまで
マリア(仮名)は、2025年、フィリピン・マニラの専業主婦でした。夫は工場労働者、子供は3人。家計は厳しく、毎日の食費を切り詰める生活でした。
2027年、マリアの住む地区に、第8話で紹介した「マニラ湾マングローブ再生・海洋ゴミ回収プロジェクト」が来ました。マリアは、パートタイムでゴミ回収作業に参加しました。給料は、月200ドル。そして、プロジェクトは「環境教育プログラム」も提供していました。
マリアは、プロジェクトの中で、リーダーシップを発揮しました。地域住民をまとめ、ゴミ回収の効率を改善しました。2030年、マリアは、プロジェクトの「コミュニティマネージャー」に昇進しました。給料は、月800ドル。
マリアは、2035年、45歳で独立しました。事業内容は、「地域密着型リサイクル事業」。マリアの強みは、「地域住民との信頼関係」です。マリアの会社は、2040年現在、マニラ全域で100の地区をカバーし、年間5,000トンのプラスチックを回収しています。
マリアは、2040年、フィリピンで「女性起業家の象徴」として、メディアに頻繁に登場しています。「かつて、私は専業主婦で、何もできないと思っていました。でも、循環経済ビジネスが、私に力を与えてくれました」
ストーリー3:「日本の若手社員」が「ASEAN事業本部長」になるまで
田中(仮名)は、2025年、日本の中堅化学メーカーの若手社員(28歳)でした。入社5年目、日々のルーチンワークに飽き、「このままでいいのか」と悩んでいました。2025年12月、会社は「ASEAN環境ビジネス担当者」を募集しました。田中は、迷いましたが、勇気を出して、手を上げました。
2026年、田中はタイ・バンコクに赴任しました。最初の1年は、苦労の連続でした。言葉が通じない、商習慣が違う、判断基準が曖昧、パートナー企業との交渉がうまくいかない……。何度も、「日本に帰りたい」と思いました。でも、田中は、粘り強く現地に根を張りました。
2029年、田中が率いるタイ事業は、黒字化を達成しました。年間処理能力5,000トンのリサイクル工場、現地従業員50名、年間売上5億円。田中は、32歳で、会社史上最年少の「海外拠点長」になりました。
田中は、タイでの成功を踏まえ、ベトナム、インドネシアに事業を展開しました。2040年、田中は43歳で、会社の取締役・ASEAN事業本部長に就任しました。ASEAN事業は、今や会社全体の売上の30%を占める、最重要事業です。
田中は、2040年1月、ジャカルタの会議で、こう語りました。「2025年、私は迷っていました。ASEANに行くべきか、日本に留まるべきか。今、私は断言できます。ASEANに来て、本当に良かった」


【図表2:3つの成功ストーリー(2025年→2040年の軌跡)】
日本の役割の変化:「技術提供者」から「共創パートナー」へ
2025年から2040年の15年間で、日本の役割は大きく変わりました。2025年、日本の役割は、「技術提供者」でした。日本の優れた技術を、ASEANに移転する。これが、日本企業の主な役割でした。
2040年、日本の役割は、「共創パートナー」に変わりました。日本は、もはや「教える側」ではありません。日本とASEANは、対等なパートナーとして、共に新しい技術・ビジネスを創造しています。
2040年、日本の強みは、精密技術(日本は、依然として「精密技術」で世界トップ)、長期視点(日本企業は、10年・20年の長期的な関係構築を重視)、信頼性(「約束を守る」ことで、ASEANで高い信頼を得ています)、の3つに進化しました。
一方、ASEANは、市場規模(2040年、ASEAN人口は7.5億人、GDP10兆ドル)、イノベーション速度(新技術の開発、市場投入のスピードは、日本企業の2-3倍)、多様性(10カ国、数百の民族、数千の言語が共存)、の強みを獲得しました。
2040年、日本とASEANは、相互補完の関係になりました。日本の「精密技術」「長期視点」「信頼性」と、ASEANの「市場規模」「イノベーション速度」「多様性」が組み合わさることで、他のどの地域も真似できない、強力な「アジア循環経済圏」が誕生したのです。


【図表3:日本の役割の進化(2025年→2030年→2040年)】
若手ビジネスパーソンへのメッセージ:アジアでキャリアを築く意義
アジアは、あなたのキャリアを劇的に変える
2025年、日本では「安定志向」が強まっています。「大企業に就職し、定年まで勤め上げる」「リスクを取らず、安全な道を選ぶ」。この選択を否定するつもりはありません。しかし、私は、若い皆さんに問いかけたいのです。
「あなたは、本当にそれで満足ですか?」「あなたの人生で、一度くらい、大きな挑戦をしたくありませんか?」
私は、2005年、アジア(中国)に赴任しました。正直に言うと、最初は不安でした。言葉もわからない、文化も違う、何もかもが不確実な世界。でも、アジアは、私のキャリアを劇的に変えました。
アジアで、私は「ゼロから事業を立ち上げる経験」をしました。アジアで、私は「多様な人々と協働する力」を身につけました。アジアで、私は「グローバルな視野」を獲得しました。そして、アジアでの経験が、私を「DCTA」の創業に導きました。もし、私が日本に留まっていたら、今の私はありません。
アジアは、世界で最もエキサイティングな場所
2025年から2040年にかけて、世界で最も成長するのは、アジアです。特に、ASEAN。ASEAN人口は、2025年の6.8億人から、2040年の7.5億人に増加します。ASEAN GDPは、2025年の4兆ドルから、2040年の10兆ドルに増加します。ASEAN中間層人口は、2025年の4億人から、2040年の6.5億人に増加します。
そして、この成長の中心にあるのが、「循環経済」です。循環経済は、単なる「環境対策」ではありません。循環経済は、新しい産業、新しい雇用、新しい社会を生み出す、「次の時代の基盤」です。
あなたが、2025年にASEAN循環経済ビジネスに飛び込めば、あなたは「次の時代を創る」最前線に立つことができます。これ以上にエキサイティングな場所が、他にあるでしょうか?
「失敗しても大丈夫」という安心感
「でも、失敗したらどうするんですか?」若い人から、よくこの質問を受けます。私の答えは、こうです。
「失敗しても、大丈夫です」
ASEANで失敗しても、あなたは「ASEANで挑戦した経験」を持って、日本に帰ることができます。その経験は、日本企業が喉から手が出るほど欲しい経験です。2040年、日本企業の多くは、ASEAN事業を拡大しています。そして、「ASEANで実務経験がある人材」は、圧倒的に不足しています。つまり、ASEANで失敗して日本に帰っても、あなたは引く手あまたです。だから、安心して挑戦してください。
私からのお願い:「まず、現地を見に行ってください」
最後に、私から皆さんにお願いがあります。
「まず、現地を見に行ってください」
タイでも、ベトナムでも、インドネシアでも構いません。1週間でいいから、現地に行って、街を歩いて、人々と話して、空気を感じてください。リサイクル工場を見学してください。現地企業の経営者と会ってください。現地で働く日本人と話してください。
そうすれば、あなたは「何か」を感じるはずです。「ここで働きたい」「ここで何かを成し遂げたい」「ここで自分の人生を賭けたい」
その「何か」を感じたら、行動してください。会社に「ASEAN事業に参加したい」と手を上げてください。転職サイトで「ASEAN勤務」の求人を探してください。起業して、ASEANで事業を始めてください。あなたの人生を変える第一歩は、「まず、現地を見に行く」ことから始まります。


【図表4:若手ビジネスパーソンへのQ&A(不安への回答)】
今後取り組みたいこと・・・夢?思い?実現に向けての提案?
最後に、わたしの夢であり、思いであり、力を合わせて実現に向けて取り組みたい提案について、お話しします。私は、あと10年、15年は現役で働けると思いますが、いずれ引退する日が来ます。だから、私や、私たち世代は、「次世代リーダー育成」に注力したいと考えています。
テーマ1:「次世代リーダー育成」
プログラム1:「ASEAN環境ビジネス・インターンシップ」。日本の大学生・大学院生を対象に、ASEAN現地企業で3-6ヶ月のインターンシップを実施します。年間100名の学生をASEANに送り出したいと考えています。
プログラム2:「若手起業家支援プログラム」。ASEAN環境ビジネスで起業を目指す若手起業家を支援します。年間10社の起業を支援したいと考えています。
プログラム3:「ASEAN-Japan環境ビジネス・アカデミー」。ASEAN企業の若手・中堅社員を対象に、日本で研修プログラムを実施します。年間50名のASEAN人材を育成したいと考えています。
テーマ2:「アジア循環経済研究所」の設立
私は、2026年、「アジア循環経済研究所」を設立します。この研究所は、ASEAN循環経済に関する調査・研究を行い、その成果を無料で公開します。研究テーマは、市場の定量分析、成功事例・失敗事例のデータベース構築、政策提言、技術動向分析の4つです。
テーマ3:「アジア循環経済圏」の実現
私の最終的な目標は、「アジア循環経済圏」の実現です。これは、ASEAN、日本、韓国、中国、インド、オーストラリアを含む、アジア全域での循環経済ネットワークです。この循環経済圏では、廃棄物が「国境を越えて」適切にリサイクルされます。もちろん、これは簡単なことではありません。しかし、私は、2040年までに、この「アジア循環経済圏」の基盤を作りたいと考えています。


【図表5:次世代への取り組み(3つのテーマ)】
2040年、私たちが創る未来
最後に、もう一度、2040年のジャカルタの会議室に戻ります。
私は、スクリーンに一枚の図を映し出しました。「アジア循環経済圏2040」というタイトルの、アジア地図です。地図には、ASEAN、日本、韓国、中国、インド、オーストラリアが描かれています。そして、各国を結ぶ、無数の線。この線は、「循環のネットワーク」です。
私は、会場の皆さんを見渡しました。タイの政府高官、ベトナムのCEO、フィリピンのNPO代表、日本の取締役。そして、かつて「ゴミ山の少年」だったアディ。かつて「専業主婦」だったマリア。かつて「迷っていた若手社員」だった田中。彼らの目は、輝いています。
私は、深呼吸をして、こう語りました。「2025年、私たちは、小さな一歩を踏み出しました」
「タイでリサイクル工場を建てる。ベトナムで廃プラを処理する。フィリピンでマングローブを植える」
「それぞれは、小さな一歩でした」
「しかし、その小さな一歩が、積み重なり、今、アジア循環経済圏という、大きな成果になっています」
「そして、この成果は、私たち一人ひとりの、小さな決断、小さな行動から始まりました」
「ゴミ山の少年が、『学校に行きたい』と願ったこと」「専業主婦が、『街をきれいにしたい』と思ったこと」「若手社員が、『ASEANに挑戦したい』と手を上げたこと」
「これらの小さな決断が、積み重なって、今の私たちがあります」
私は、カメラに向かって、語りかけました。(このスピーチは、リアルタイムで世界中に配信されています)
「2026年、この記事を読んでいる、あなた」
「あなたも、小さな一歩を踏み出してください」
「ASEANに行ってください」「現地を見てください」「現地の人々と話してください」
「そして、あなたができることを、見つけてください」
「あなたの小さな一歩が、次の15年、次の世代の、大きな成果につながります」
「2040年、私たちが再び会う時、あなたも、この会議室にいてください」
「私たちと一緒に、『次の20年』を語りましょう」
「私たちと一緒に、『次世代に残すアジア循環経済圏』を、創りましょう」
会場から、大きな拍手が起きました。私は、拍手に包まれながら、思いました。
「2026年、私がnoteで書いた10話のシリーズが、2040年、
こんな未来を創るきっかけになったら、どんなに素晴らしいだろう」
あなたへの最後のメッセージ
この記事を、ここまで読んでくださった、あなたへ。本当に、ありがとうございます。Prologueから、Epilogueまで、全12話、長い旅でした。でも、この旅は、ここで終わりではありません。
ここから、あなたの旅が始まります。
私は、2026年の今日、この記事を書き終えました。そして、私は、2027年、2028年、2029年……と、ASEANで働き続けます。「小さく始めて、大きく育てる」。この信念のもと、一つひとつのプロジェクトに全力で取り組みます。
あなたも、あなたの旅を始めてください。
「まず、現地を見に行く」
この一歩から、すべてが始まります。そして、いつか、ASEANのどこかで、あなたと会えることを、心から楽しみにしています。
2040年、ジャカルタの会議室で、あなたと再会しましょう。
その時、私たちは、笑いながら、こう語り合うでしょう。「2026年、私たちは、こんな未来を想像していたでしょうか?」「いや、想像していませんでした。でも、私たちは、この未来を、一緒に創りました」
あなたの人生を賭けるに値する、壮大な挑戦が、
ASEANで、あなたを待っています。
さあ、行きましょう。
次世代に残す、アジア循環経済圏を、一緒に創りましょう。
株式会社DCTA 代表取締役 畠山達彦
2026年2月13日 日本にて
キーワード
#アジア循環経済圏、 #2040年の未来、 #次世代への継承、 #技術移転から共創へ、 #ゴミ山の少年の物語、 #女性起業家、 #ASEANキャリア、 #若手へのメッセージ、 #まず現地を見に行く、 #人生を賭ける価値、 #次世代リーダー育成、 #アジア循環経済研究所、 #感動の完結編、 #あなたの旅の始まり、
著者プロフィール
畠山達彦(はたけやま・たつひこ) 株式会社DCTA 代表取締役
大手化学メーカーで30カ国以上の事業展開を統括した後、独立。環境規制対応、製造業最適化、サーキュラーエコノミー実現を専門とするコンサルティング会社を経営。2000年、30歳でタイに初赴任し、アジアでのキャリアをスタート。2020年以降、50社以上の日本企業のASEAN環境ビジネス展開を支援。「小さく始めて大きく育てる」を信条とし、次世代に「アジア循環経済圏」を残すことを使命としている。2026年「アジア循環経済研究所」設立予定。