あなたの調達先は、5年後も存在していますか。
少し乱暴な問いかけに聞こえるかもしれません。でも、2026年の製造業の現場を歩いていると、これが決して大げさではないと実感します。工場の生産ラインは今日も動いている。受注はある。在庫もある。にもかかわらず、その工場を支えているサプライチェーンが、静かに、しかし確実に崩れ始めているのです。
■ 「3つの同時危機」2026年の製造業が直面している現実
私がこれまで関わってきた製造業のクライアントである自動車部品、電機・電子、化学素材、食品包装の多くが、ここ1〜2年で「調達の不確実性」を最重要リスクとして挙げるようになりました。数年前まで「コスト削減」や「品質管理」が上位を占めていたのが、今や「そもそも調達できるかどうか」という次元に問題が移っています。
この変化の根本にあるのは、3つの危機が「同時に」押し寄せているという事実です。それぞれ単体でも十分に手強い。しかし今、この3つが同時進行しているのです。
危機① 規制の地雷原「知らなかった」では済まない時代
2026年現在、製造業の調達担当者が把握しなければならない規制は、かつてとは比べ物にならないほど複雑になっています。
EU炭素国境調整メカニズム(CBAM):2026年から本格課金フェーズへ移行。鉄鋼・アルミ・セメント・肥料・電力・水素の6品目に始まり、対象拡大が予定されています。欧州向け製品を持つ日本のサプライヤーは、もはや対岸の火事ではありません。
PFAS規制:EUでは2026〜2027年にかけて汎用PFAS(PFOA・PFOS等の長鎖フルオロカーボン類)の製造・使用・輸入が大幅に規制されます。半導体製造プロセス、自動車部品のコーティング、医療機器の封止材など、素材の「当たり前」が崩れつつあります。
関税・輸出規制:米国の対中追加関税は品目によっては100%超の水準に達しており、中国からの部品・素材を使った製品の対米輸出は構造的に見直しを迫られています。加えて、レアアース・半導体関連素材の輸出規制が日米欧中の間で複雑に絡み合っています。
「規制は知っている。でも自社のサプライチェーンのどこに影響が出るかまでは把握できていない」これが、私がコンサルティングの現場でよく聞く言葉です。規制そのものを知ることと、自社の調達ネットワークへの影響を具体的にマッピングすることは、まったく別の作業です。
危機② 地政学リスクの「常態化」中国依存の再点検
「米中デカップリング」という言葉が使われ始めて数年が経ちます。当初は「そこまで深刻にならないのでは」という見方も多かったのですが、2024〜2025年の動きを見ると、もはや「デカップリングが進むかどうか」ではなく「どのスピードで進むか」という問いになっています。
私が以前、大手ケミカルHDで機能性樹脂事業の責任者を務めていた頃、30カ国以上の拠点・取引先と向き合っていました。その経験から言えることがあります。サプライチェーンの「集中リスク」は、問題が起きてから気づいても手遅れなのです。
たとえば、レアアース。日本が輸入するレアアースの大部分は中国に依存しています。2010年の尖閣問題に端を発したレアアース輸出制限は、日本の製造業に深刻な影響を与えました。あれから15年が経ちましたが、依存構造は本質的に変わっていない部分も残っています。2025〜2026年には中国がガリウム・ゲルマニウム・グラファイトなど半導体・電池関連素材の輸出規制を強化しており、日本の製造業は再び同じリスクに直面しています。
「China+1」という言葉は2010年代から言われてきましたが、実際に実行できている中小製造業はどれほどあるでしょうか。大企業はタイ・ベトナム・インドへの分散を進めてきました。しかし、中小サプライヤーの多くは、コストと人手不足を理由に「現状維持」を続けてきたのが実態です。その選択が、今まさに問われています。
危機③ コスト構造の激変「安く作れる場所」がなくなりつつある
3つ目の危機は、コスト構造の変化です。これが最もじわじわと効いてきます。
中国の製造コストは、人件費上昇・不動産コスト・環境規制強化によって、2010年代初頭と比べると大きく変わっています。かつて「中国で作れば安い」という前提で組まれたサプライチェーンが、今やその前提を失いつつあります。
では、東南アジアはどうか。ベトナムはすでに「第2の中国」と呼ばれるほどのコスト上昇が起きています。ミャンマーは政情不安が続き、工場撤退が相次ぎました。バングラデシュはアパレルに強いが、高度製造業のインフラはまだ発展途上です。インドは有望ですが、物流インフラと法制度の複雑さがネックになっているケースが多い。
つまり、「安く・品質よく・安定して作れる場所」は、もはやどこにでもあるわけではありません。新しい拠点を育てるには時間とコストがかかる。その一方で、既存のサプライチェーンはすでに綻び始めている。この「移行コスト」の問題が、多くの中小製造業の意思決定を止めているのです。
■ 「工場は動いているのに」現場で起きていること
少し具体的な話をさせてください。私がここ1〜2年でコンサルティング現場で見聞きした、典型的なケースをご紹介します(守秘義務の関係で業種・規模を一部変えています)。
【ケース1】素材の「当たり前」が崩れた化学メーカー
ある化学系素材メーカーでは、長年使用してきたフッ素系コーティング剤がPFAS規制の対象になり、代替素材の探索を迫られました。技術的に代替できる素材はいくつか候補に上がったものの、いずれも①コストが2〜3倍、②既存設備での加工が困難、③主要サプライヤーが欧州系で調達リードタイムが長い。という三重苦でした。
「工場は動いています。でも今の素材がいつ使えなくなるかわからない。代替品のテストに2年かかる。でも2年待てるかどうかもわからない」担当者の言葉が印象に残っています。これは規制対応の問題であると同時に、サプライチェーン設計の問題でもあります。
【ケース2】関税で「商流」が変わった電機メーカー
別の事例では、中国で生産した電子部品を米国向けに輸出していたサプライヤーが、追加関税の影響で採算が取れなくなりました。急遽、一部生産をベトナムにシフトしようとしましたが、現地でのサプライヤー開発に想定以上の時間がかかり、半年以上の納期遅延が発生しました。
問題は、この企業が「関税を知らなかった」のではないということです。関税のリスクは認識していた。でも、「実際に動く」ことを後回しにしていた。そのツケが、顧客への納期遅延という形で現れました。
【ケース3】「知らなかった」では済まなかった中小部品メーカー
さらに深刻なのは、大企業のサプライヤーである中小メーカーのケースです。大手Tier1からある日突然「CBAM対応のための炭素排出量データを提出してください」という連絡が来た。しかし、その中小メーカーはCBAMという規制自体を知らなかった。排出量データの算定方法も、報告のフォーマットも、何もわからない状態でした。
大企業は規制情報を持っている。でも、その情報がサプライチェーンの末端まで届くのには、相当なタイムラグがあります。そのタイムラグの間に、「対応できないサプライヤーはリストから外れる」という選択が静かに行われていくのです。
■ この連載で伝えたいこと
私は製造業のコンサルタントとして、東南アジア・中東・インド・欧州・米国と関わりながら、サプライチェーンの「現実」を見てきました。きれいな戦略フレームワークではなく、現場で何が起きているか、何が機能して何が機能しないか?その積み重ねから、この連載を書いていきたいと思っています。
この連載のタイトルは「サバイバル・サプライチェーン」です。「サバイバル」という言葉は、少し強烈に聞こえるかもしれません。でも、私が見ている現場の体温は、まさにそういう感覚です。対応が遅れた企業が、じわじわと選択肢を失っていく。その一方で、早めに動いた企業は、この混乱を「競争優位を作る機会」に変えています。
この連載では、以下のテーマを順に扱っていきます。
・ 第1話:関税・CBAM・輸出規制。「規制の地雷原」を地図で理解する
・ 第2話:PFAS規制が製造業の素材調達を根底から変える
・ 第3話:中国サプライチェーンへの依存度。あなたの会社のリスクを数値化する
・ 第4話:東南アジア・インド・中東。代替拠点の「本当の実力」
・ 第5話:調達先を「選ぶ」から「育てる」へ。サプライヤー開発の現場論
・ 第6話:在庫戦略の再設計。「ジャスト・イン・タイム」は終わったのか
・ 第7話:デジタルツールでサプライチェーンを「見える化」する
・ 第8話:EU CRA・バッテリー規制・サーキュラーエコノミー。欧州規制を機会に変える
・ 第9話:日本の中小製造業がグローバルサプライチェーンに残り続けるための条件
・ 第10話:2030年のサプライチェーン。今から動く企業と、動けない企業の分岐点
・ Epilogue:「サバイバル」から「デザイン」へ。不確実性を味方にする製造業の思想
教科書的な「あるべき論」ではなく、現場で使える「実践論」を届けることを目指しています。難しい規制用語も、できるだけ平易に。海外の事例も、日本の中小製造業に引き寄せて考えられるように。そういう連載にしていきたいと思っています。
■ 「サバイバル」は終わりではなく、始まりである
最後に、一つだけ伝えておきたいことがあります。
「サバイバル・サプライチェーン」というタイトルは、恐怖をあおることが目的ではありません。むしろ逆です。この不確実性の時代を「すでに動いている」企業にとっては、巨大なチャンスになると私は考えています。
●規制が変わるということは、規制に対応できた企業だけが市場に残れるということです。
●地政学リスクが高まるということは、リスク分散を先に設計した企業が安定した調達力を手に入れるということです。
●コスト構造が変わるということは、新しいコスト競争力の設計を早く始めた企業が優位に立てるということです。
この連載の最終話・Epilogueでは「サバイバルからデザインへ」というテーマで締めくくる予定です。不確実性をリスクとして「管理」するのではなく、不確実性を前提として「設計」する。そういう製造業の思想について、最後にお話ししたいと思っています。
まず第1話では、この混乱の震源地とも言える「規制の地雷原」の全体像を整理します。CBAM・PFAS・関税・輸出規制。何がいつ、どう変わるのか。現場の担当者が「地図」として使える形で届けられるよう、書いていきます。
次回:第1話「関税・CBAM・輸出規制。『規制の地雷原』を地図で理解する」 に続く →
■引用文献・参考資料
・欧州委員会「Carbon Border Adjustment Mechanism(CBAM)」公式サイト(2026年)
・ECHA(欧州化学品庁)「Universal PFAS restriction proposal」(2023〜2026年)
・経済産業省「通商白書2025」
・US Trade Representative「Section 301 Tariffs on China」(2024〜2026年更新)
・経済産業省「レアアース・重要鉱物サプライチェーン強靭化に関する調査」(2025年)
・中国商務部「ガリウム・ゲルマニウム・黒鉛輸出規制関連通知」(2023〜2025年)
■ 著者プロフィール
畠山 達彦 株式会社DCTA 代表取締役
大手ケミカルHDの事業会社にて機能性樹脂事業の責任者を務め、素材開発・加工技術・工場設計・生産管理に至るバリューチェーン全体の意思決定を担う。30カ国以上の事業運営を統括した後、2014年11月に独立し株式会社DCTAを設立。製造業の環境規制対応(PFAS・EU CRA等)、IoT/AI/デジタルツインを活用したスマートファクトリー構築、アジアでの資源循環ビジネス開発を中心としたコンサルティングを展開。湘南・横浜を拠点に、東南アジア・中東・インド・欧州・米国で活動中。NewsPicks EXPERT AWARD 2024 ベストフラッシュ・オピニオン部門 受賞。
会社URL:https://www.dctainc.com/
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