〜拠点移転の背景にある地政学とコスト。きれいごとではない「移転の本音」を整理します〜
■はじめに
ある製造業の経営者の方と、こんな話をしたことがあります。「中国の工場は、品質も納期も申し分ない。正直、動かす理由などなかった。それでも、動かさざるを得なくなった」。理由を尋ねると、その方は少し困った顔で、こう続けられました。「うちが悪いわけでも、中国が悪いわけでもない。ただ、お客さんが『中国製は困る』と言い出した。それだけなんです」。移転というのは、しばしば、こういう「自分ではどうにもならない力」によって始まります。今回は、その力の正体を、できるだけ正直に見ていきたいと思います。
Prologueでは、ホルムズ海峡の混乱を入口に、製造業の拠点が動けば廃棄物も一緒に動く、というお話をいたしました。今回からは、その「拠点が動く」という現象そのものに、一歩踏み込んでいきます。テーマは、チャイナプラスワンの現在地です。なぜ今、ASEANやインドなのか。その背景にある地政学とコストを、できるだけきれいごと抜きで、現場の本音に近いところから整理してみたいと思います。
先にお断りしておきますと、今回は数字と制度の話が多めです。少し固いところもありますが、ここを押さえておくと、第2話以降の「各国の地図」や「資源循環のつくり方」が、ぐっと立体的に見えてくると思います。専門用語はできるだけかみ砕いてお伝えしますので、どうか肩の力を抜いて、お付き合いいただけたら嬉しいです。
「チャイナプラスワン」とは、中国を捨てることではない
まず、言葉の手触りから確かめさせてください。チャイナプラスワンは、中国に置いた生産や調達の体制を残しつつ、もう一つ以上の国にも拠点を分散させる、リスク分散の考え方です。大切なのは、「中国を捨てる」ことではなく、「中国に加えて、別の選択肢を持つ」ことだという点です。
このニュアンスは、現場ではとても重要です。実際、日本企業の対中投資は近年、過去最低水準が続いていますが、それでも「中国から撤退する」と答える企業はごくわずかで、多くは「様子見」のままです。ジェトロの調査では、撤退を検討する企業の割合は1%にとどまっていると報告されています(出典:ジェトロ世界貿易投資報告、2025年)。つまり、現実に起きているのは「中国を出る」というより、「中国は残しつつ、もう一本足を増やす」という動きなのです。この温度感を取り違えると、移転の本音を見誤ってしまうと、わたしは感じています。
そもそも、なぜ中国がこれほどまでに「世界の工場」になったのか。1980年代以降、中国には、豊富で安価な労働力と、巨大な国内市場があり、外国の企業にとって、これ以上ない生産地でした。そこに数十年かけて、部品から組み立てまでが一カ所に揃う、分厚いサプライチェーンが築かれました。この「集積の厚み」こそが、中国の本当の強さです。だからこそ、簡単には置き換えられない。プラスワンの国を選んでも、しばらくは中国と二人三脚で進まざるを得ない。チャイナプラスワンという言葉の裏には、こうした、簡単には断ち切れない結びつきがあることを、まず押さえておきたいと思います。
地政学① 関税という「動く地面」の上で
なぜ、企業はわざわざコストと手間をかけて、足を増やそうとするのでしょうか。一つ目の理由は、地政学です。とりわけ、ここ二年ほどの関税をめぐる動きは、製造業にとって、足元の地面そのものが動いているような感覚をもたらしました。
少し時系列で振り返ります。2025年4月、米国は世界各国に対していわゆる相互関税を発表しました。中国には34%、ベトナムには46%、カンボジアには49%、インドには26%、日本には24%といった税率が並びました(出典:日本経済新聞、2025年)。その後、米中は報復関税の応酬に入り、税率は一時、米国の対中145%、中国の対米125%という、常識では考えられない水準まで跳ね上がりました(出典:貿易ドットコム、2026年)。
さすがにこの高さは長く続かず、2025年5月には双方が引き下げで合意し、米国の対中関税は30%、中国の対米関税は10%という水準に落ち着きました(出典:ジェトロ、2025年)。さらに2025年10月30日、トランプ大統領と習近平国家主席が首脳会談を行い、相互関税を10%水準で当面維持すること、輸出管理の一部を停止することなどで合意しています(出典:ジェトロ、2026年)。
ここまでなら、「山を越えて、少し落ち着いた」という話に見えるかもしれません。ところが、2026年に入って、地面はもう一度大きく揺れました。2026年2月20日、米国の連邦最高裁判所が、6対3の判断で、これらの相互関税の法的な根拠となっていた国際緊急経済権限法(IEEPA)について、大統領に関税を課す権限を与えるものではないとして、違憲・無効と判断したのです(出典:ジェトロ、2026年/PwC、2026年)。課税の権限は本来、議会に属するという、憲法の原則に立ち返った判断でした。
これを受けて政権は、すぐに通商法122条にもとづく一律10%の代替関税を発動しましたが、これも上限15%、期限150日という制約つきのものでした(出典:PwC、2026年)。さらに2026年5月7日には、米国際貿易裁判所が、この代替関税についても違法との判断を示しています(出典:野村総合研究所、2026年)。すでに徴収された関税の還付も論点になっており、対象は約33万社、総額はおよそ1,660億ドル、日本円で約26兆円にのぼると報じられています(出典:野村総合研究所、2026年)。
ここで強調したいのは、関税が「高い」こと以上に、関税が「定まらない」ことの重さです。鉄鋼やアルミ、自動車、半導体などにかかる通商拡大法232条の関税や、中国製品にかかる通商法301条の関税は、今回の判決の影響を受けずに残っています(出典:ジェトロ、2026年)。一方で、相互関税の部分は、発動されたり、違憲とされたり、別の法律で課し直されたりと、めまぐるしく動いています。実際、2025年10月時点で、中国の対米輸出における関税負担率は40%弱と最も高く、日本は15%程度で推移している、という分析もあります(出典:アジア経済研究所、2026年)。
経営の現場にとって、いちばん困るのは、この「予測できなさ」です。関税率が定まらなければ、コストが計算できません。コストが計算できなければ、どこに工場を置くべきかも決められません。だからこそ、企業は「どれか一国に賭ける」のではなく、「複数の国に少しずつ足場を持って、どう転んでも対応できるようにしておく」という選び方に傾いていきます。チャイナプラスワンは、こうした「動く地面」の上で生き延びるための、ごく現実的な身のこなしなのだと、わたしは受け止めています。
ここで、少しだけ理屈を補足させてください。不確実性が高いと、なぜ分散が進むのか。それは、投資の判断が「期待値」ではなく「最悪の事態に耐えられるか」で動くようになるからです。関税が10%で済むのか、それとも明日には40%になるのか。それが読めないとき、賢明な経営者は、どちらに転んでも会社が傾かないように、リスクを薄く広く分けておこうとします。一極集中は、平時には効率的でも、有事には脆い。この「効率」と「強さ」のあいだで、いま多くの企業が、少しだけ「強さ」のほうへ舵を切っているのだと感じています。連載「サバイバル・サプライチェーン」で、わたしはこれを「サバイバルからデザインへ」という言葉で表現しました。
日本に身を置く立場として、もう一点、付け加えておきたいことがあります。今回の最高裁の判断では、相互関税の部分は無効とされましたが、自動車や同部品にかかる通商拡大法232条の25%関税は、影響を受けずに残りました(出典:ジェトロ、2026年)。自動車を主力とする日本の対米輸出にとって、ここは依然として重い負担です。日本政府は相互関税率15%を前提に、5,500億ドル規模の対米投資で米国と合意しており、判決後もこの枠組みを大きく動かしにくい立場にあるとされています(出典:ピクテ、2026年)。関税は、遠い国の話ではなく、わたしたち自身の足元の話でもあるのです。
【第1話図表ファイルのP2ページ
「関税という『動く地面』2025年から2026年の経緯」参照】
地政学② もう一つの武器、輸出管理とレアアース
地政学のリスクは、関税だけではありません。むしろ、製造業の急所を突いてくるのは、輸出管理のほうかもしれません。
2026年1月、中国は、台湾をめぐる発言などを契機に、レアアースを含む軍民両用品目の対日輸出管理を大きく強化しました。重希土類のジスプロシウムやテルビウムは、ほぼ全量が中国経由とされ、供給が止まれば、モーターや電子部品の生産が立ち行かなくなります。わたしは別の連載「都市鉱山という名の主権」で、この問題を、リサイクルを「第2の鉱山」として捉え直す視点から書きました。一国に依存するということは、その国の判断ひとつで、自社の工場が止まりかねないということです。この怖さを、多くの製造業の方が、2026年に入って改めて実感されたのではないでしょうか。
関税は、最終製品の「出口」のコストを上げます。輸出管理は、原材料という「入口」を細らせます。出口と入口の両方を、特定の一国に握られている状態は、経営として、やはり危うい。チャイナプラスワンは、この入口と出口のリスクを、少しでも分散しておきたいという、防御の発想でもあるのです。連載「サバイバル・サプライチェーン」でお伝えした「調達先を選ぶから育てるへ」という考え方も、根っこは同じところにあります。
なお、こうした資源をめぐる綱引きは、関税の世界にも顔を出しています。2026年1月には、リチウムイオン電池や天然黒鉛などに対する米国の通商法301条関税の引き上げが行われました(出典:ジェトロ、2026年)。電池の材料は、いまや経済安全保障の最前線です。素材を制する者が、産業を制する。わたしが前職の大手ケミカルHDで素材の事業に長く携わってきたからこそ、この「素材の地政学」の重みは、人一倍感じているつもりです。
コスト 中国の優位が薄れ、受け皿に資金が向かう
二つ目の理由は、コストです。かつて中国が「世界の工場」と呼ばれたのは、豊富で安価な労働力があったからでした。けれども、経済成長とともに人件費は上がり続け、「中国はもう、昔のように安い国ではない」という認識が広がっています(出典:Provej、2025年)。安さという、中国の最大の武器が、少しずつ薄れてきたわけです。
その受け皿として、ASEANやインドに資金が向かっています。数字で見ると、流れははっきりしています。2024年のASEANへの対内直接投資は、前年比8.7%増の2,307億ドルに達し、世界の直接投資に占めるASEANのシェアは14.9%を超えました(出典:ジェトロ、ASEAN Stats、2025年)。国別では、インドネシアが242億ドル、ベトナムが201億ドルと堅調に伸び、マレーシアは35.9%増、タイは23.5%増と大きく投資を伸ばしています(出典:ジェトロ、2025年)。
ベトナムの勢いは、とりわけ目を引きます。2025年1月から5月までの外国直接投資の認可額は、前年同期比で51.1%増の184億ドルに達したと報じられています(出典:亜州ビジネス、2025年)。年間で見ても、2025年の実行ベースの投資額は約276億ドルと、2021年から2025年で最高の水準になったとされています(出典:B&Company、2026年)。成長率の面でも、アジア開発銀行はASEAN全体の2025年成長率を4.3%と見込み、そのなかでベトナムは6.7%、インドネシアは4.9%と、相対的に高い伸びを予測しています(出典:ジェトロ、ADB、2025年)。インド向けの日本企業の投資も高水準が続き、アジアではシンガポールに次ぐ2番目の投資先になっています(出典:ジェトロ、2025年)。
地政学が「中国から出たい理由」をつくり、コストと成長が「ASEAN・インドに行きたい理由」をつくる。この二つの力が重なって、製造業の地図が静かに、しかし着実に塗り替わっています。この塗り替えについては、別の連載「脱ナフサ時代の製造業生存戦略」でも、アジアの製造業地図という切り口で触れました。あわせてお読みいただくと、エネルギーと素材の両面から、同じ現象が見えてくると思います。
【第1話図表ファイルのP3ページ
「ASEAN・インドへ向かう投資の流れ」参照】
数字の裏を、もう一歩読む
ただ、こうした投資の数字は、額面どおりに受け取ると、少し誤解を招くところがあります。現場の感覚として、二つほど、注意点を添えておきたいと思います。
一つは、ASEANへの投資の多くが、シンガポールに集中しているという点です。2024年のASEAN向け対内直接投資のうち、実に6割以上がシンガポール向けでした(出典:ジェトロ、ASEAN Stats、2025年)。シンガポールは、製造の現場というより、地域の金融や統括の拠点としての性格が強い国です。つまり、投資額の大きさが、そのまま「工場がそこに建っている」ことを意味するわけではありません。実際にモノをつくる現場がどこに増えているのかは、額の大きさだけでなく、中身を見て判断する必要があります。
もう一つは、移転の多くが、まだ初期段階だという点です。たとえばインドは、スマートフォンの輸出などで存在感を高めていますが、部品や材料の調達では課題も多く、移管の動きはまだ始まったばかり、という見方が一般的です(出典:野村証券、2025年)。ベトナムについても、2025年の投資の特徴は、新規の登録額の急増よりも、すでに進出した企業が腰を据えて再投資を増やしている点にある、と分析されています(出典:B&Company、2026年)。派手な「引っ越し」の数字の裏で、地に足のついた、地道な積み上げが進んでいる。ここを読み違えないことが、現場では大切だと感じています。
数字は、嘘をつきません。けれども、数字の見せ方は、ときに本質を覆い隠します。だからこそ、第2話では、額の大小だけでは見えてこない、それぞれの国の「素顔」に分け入っていきたいと思っています。
ここからが本題 きれいごとではない「移転の本音」
さて、ここまでが、教科書的な説明です。地政学とコスト。たいていの解説は、ここで終わります。けれども、現場を歩いてきた者として、わたしがいちばんお伝えしたいのは、この先にある「本音」の部分です。移転は、きれいな戦略図のとおりには進みません。いくつか、正直なところを並べてみます。
本音その一は、「関税を避けるために、原産地を付け替える」という、なまなましい動機です。最終的な組み立てだけをベトナムやインドネシアに移せば、製品の原産地はその国になります。すると、中国製として高い関税をかけられるのを避けられる。実際、米中の関税合戦の裏側では、ASEANへの生産移管と同時に、中国製品が第三国を経由して米国に流れ込む「迂回貿易」の動きが顕著になっていると指摘されています(出典:貿易ドットコム、2026年)。これは、必ずしも美しい話ではありません。米国側もこの動きを警戒しており、米通商代表部は、ベトナムなどを対象に、強制労働や迂回をめぐる通商法301条の調査に乗り出しています(出典:Greenberg Traurig、2026年)。「移転」と「迂回」は、紙一重のところがあるのです。
そして、ここに見落とされがちな問題があります。組み立ての現場が移れば、その工程から出る端材や不良品、梱包材といった廃棄物も、その国に移ります。先進国の消費のために、新興国が製造を引き受け、その副産物としての廃棄物まで引き受ける。原産地という「ラベル」は付け替えられても、廃棄物という「実体」は、誰かの国の土地に確かに残ります。この構造を、わたしは見て見ぬふりをしたくありません。第3話では、この「成長の影で増える廃棄物」という、先進国が長く目をそらしてきたテーマを、正面から棚卸ししたいと思っています。
本音その二は、「中国を、完全には捨てられない」という現実です。最終組み立てを移しても、その製品をつくるための部品や中間材料は、依然として中国から運んでいる、というケースが少なくありません。チャイナプラスワンと言いながら、サプライチェーンの上流をたどると、結局は中国に行き着く。看板はプラスワンでも、中身はまだまだチャイナ依存、という状態です。これは、現地に工場を建てれば終わり、という単純な話ではないことを意味します。部品メーカーごと、素材メーカーごと、面で動かないと、本当の意味での分散にはならないのです。
わたしが株式会社DCTAの仕事で現地を訪ねるとき、いつも確かめるのは、この「上流のひも付き」がどこまで残っているか、という点です。立派な組み立て工場が建っていても、ねじ一本、樹脂一粒まで中国から運んでいるのであれば、それは分散したことにはなりません。本当の意味で拠点を移すには、その国の中に、部品や素材をつくる裾野の産業を育てる必要があります。そして、その裾野づくりにこそ、じつは資源循環、つまり現地で出る廃棄物を素材として回す仕組みが、効いてくるのです。この話は、第5話と第6話で、じっくり掘り下げます。
本音その三は、「安いから行く」だけではない、という点です。いまの移転は、単に人件費の安い国を探す動きではなくなっています。政治的、外交的に信頼できる国に拠点を置く「フレンドショアリング」という考え方が、しっかり根を下ろしてきました(出典:ヒューマントラスト、2026年)。安くても、いざというときに供給を止められてしまう国では困る。多少コストが高くても、安心して付き合える国を選ぶ。コストの計算式の中に、「信頼」という、数字にしにくい項目が入ってきたのです。
ただ、この「信頼」という言葉も、現場ではそう単純ではありません。ある国が、米国にとって友好的でも、別の大国との関係では微妙な立場にある、ということは珍しくありません。ASEANの国々の多くは、米国とも中国とも、上手に距離を取りながら付き合っています。どちらか一方に完全に与するのではなく、双方から果実を得ようとする。Prologueで「したたか」と書いたのは、まさにこうした外交の身のこなしのことでもあります。ですから、日本企業がフレンドショアリングを考えるときも、「友好国だから安心」と決めつけるのではなく、その国が置かれた地政学的な立ち位置まで含めて、丁寧に読み解く必要があると感じています。第2話で各国を一つずつ見ていくのは、まさにこの「立ち位置の違い」を、解像度を上げて確かめるためでもあります。
本音その四は、いちばん地味で、いちばん大事なところです。移転は、痛みとコストを伴う、ということです。新しい国に工場を建てるには、多額の初期投資が要ります。現地の人材を育て、品質を安定させるには、年単位の時間がかかります。サプライヤーを一から開拓し直す必要もあります。きれいな戦略図の上では一本の矢印でも、現場では、汗と失敗の積み重ねです。わたし自身、海外で拠点づくりに関わるなかで、書類の上では見えない難しさに、何度もぶつかってきました。「移転すれば、すべてがうまくいく」という話ではけっしてない。この点は、声を大にしてお伝えしておきたいと思います。
とくに見落とされがちなのが、「人」の時間です。図面のとおりに設備を入れても、それを使いこなす人が育たなければ、工場は動きません。現地の方々に技術を伝え、信頼を積み、一緒に品質をつくり込んでいく。この時間は、お金で買うことができません。わたしが30カ国以上の現場を歩いてきて、いちばん痛感したのも、まさにここでした。逆に言えば、腰を据えて人を育て、地域に根を張った企業は、多少の関税の上下では揺るがない強さを手にします。移転とは、結局のところ、その国に「もう一つのふるさと」をつくる作業に近いのかもしれません。だからこそ、その国の文化や誇りを軽んじては、けっしてうまくいかないのです。
【第1話図表ファイルのP4ページ
「きれいごとではない『移転の本音』四つの類型」参照】
そして、ここが資源循環の入口になる
ここまで読まれて、「資源循環の連載なのに、なぜ関税や移転の話が続くのか」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。じつは、この移転の話こそが、本連載の入口なのです。
理由は三つあります。
一つ目は、Prologueでも触れたとおり、拠点が動けば、そこで使う材料も、つくる製品も、捨てられる廃棄物も、一緒に動くからです。工場が増えれば、その国の廃棄物は確実に増えます。成長の裏側で積み上がっていくものを、見ないわけにはいきません。
二つ目は、原料の不安が、再生材の価値を押し上げるからです。本音その二で見たように、移転先の国も、結局は中国などからの部材や原料に依存しています。その供給が、関税や輸出管理で揺らげば揺らぐほど、「自分たちの国の中で回せる資源」、つまりリサイクル材の値打ちが、相対的に上がっていきます。Prologueで「リサイクルは、供給の不安に対する足元からの備えという顔を持ちはじめている」と書いたのは、まさにこのことです。
三つ目は、移転の本音その四でお伝えした「痛みとコスト」を和らげる手立てとして、資源循環が効いてくるからです。原料を一から輸入に頼るのではなく、現地で出る廃棄物を資源として回せれば、原料調達のリスクも、コストも、同時に下げられる可能性があります。これは、別の連載「リサイクルの真実」で論じた、リサイクルを「義務」から「産業」へと捉え直す発想とも、深くつながっています。日本では高く見える数字の裏に課題があり、インドネシアでは低い数字の裏に伸びしろがある。この対比のことも、ぜひ覚えておいていただけたらと思います。
つまり、製造業の移転と、資源循環は、別々の話ではありません。同じ一つの大きな流れの、表と裏なのです。この連載で、その表と裏を、行ったり来たりしながら見ていけたらと思っています。
少し大きな話をすれば、これまでの世界は、「安く、速く、一カ所で」つくることを善としてきました。けれども、ホルムズ海峡やレアアースが教えてくれたのは、その効率の追求が、いざというときの脆さと裏表だった、ということです。これからの製造業は、「どこでつくるか」と同時に、「使い終わったものを、どこで、どう回すか」までを、ひとつの設計図の中で考えるようになっていくと、わたしは見ています。移転と循環を別々に論じる時代は、そろそろ終わりに近づいているのかもしれません。本連載が、その新しい設計図を一緒に描くための、ささやかなたたき台になればと願っています。
【第1話図表ファイルのP5ページ
「移転から廃棄物増、そして資源循環へ(本連載の見取り図)」参照】
次回予告 移転先を、一国ずつ歩いてみる
今回は、なぜ今ASEAN・インドなのか、その地政学とコスト、そしてきれいごとではない本音を整理しました。次回・第2話では、いよいよ移転先を、一国ずつ歩いてみます。ベトナム、インドネシア、インド、バングラデシュ。それぞれの国の強みと弱みは何か。労働力、インフラ、規制の現場感はどう違うのか。今回ご紹介した数字の地図の上を、もう少し解像度を上げて、ご一緒に旅していきたいと思います。
各国には、それぞれの事情と、それぞれの誇りがあります。その違いを、上から評価するのではなく、現場の目線で、敬意をもって見ていけたらと思っています。同じ「移転先」とひとくくりにされがちな国々が、実はまったく違う顔を持っていることを、現地のにおいや手触りとともにお伝えできればと思います。次回も、どうぞお付き合いいただけたら幸いです。
なお、本話でご紹介したデータや出典は、第1話図表ファイルにも一覧として集約しております。数字の根拠を確かめたい方は、あわせてご覧ください。【第1話図表ファイルのP1ページ
「主要データ・出典一覧」参照】
(注釈)
本稿で扱った関税・通商政策、輸出管理、各国の投資制度、FDI統計などは、執筆時点(2026年)で確認できた公開情報に基づくものです。これらの制度や数値は短期間で変わる可能性があり、また関税還付や通商法上の取り扱いなどは法務・税務の専門領域にあたります。実際の投資判断、拠点選定、契約や法令適用にあたっては、最新の一次情報をご確認のうえ、通商・法務・税務などの専門家にご相談いただくことをおすすめいたします。本稿は一般的な情報提供を目的としたものであり、特定の投資・財務・法務上の助言を意図したものではありません。
■著者プロフィール
畠山 達彦 株式会社DCTA 代表取締役
大手ケミカルHDの事業会社にて機能性樹脂事業の責任者を務め、素材開発・加工技術・工場設計・生産管理に至るバリューチェーン全体の意思決定を担う。30カ国以上の事業運営を統括した後、2014年11月に独立し株式会社DCTAを設立。製造業の環境規制対応(PFAS・EU CRA等)、IoT/AI/デジタルツインを活用したスマートファクトリー構築、アジアでの資源循環ビジネス開発を中心としたコンサルティングを展開。湘南・横浜を拠点に、東南アジア・中東・インド・欧州・米国で活動中。NewsPicks EXPERT AWARD ベストフラッシュオピニオン賞2024/2025年連続受賞。
会社URL https://www.dctainc.com/
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• ナフサ・ショック 石油依存産業の終わりの始まり(ホルムズ封鎖が暴いた日本の急所)
https://note.com/iceman_23/m/m80b0a7065fdd
• 脱ナフサ時代の製造業生存戦略(アジアの製造業地図の塗り替え)
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• サバイバル・サプライチェーン(調達先を「選ぶ」から「育てる」へ)
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• 再生可能エネルギーと製造業 建前を脱して本音で向き合う
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• 都市鉱山という名の主権 レアアース危機が問う日本の資源戦略
https://note.com/iceman_23/m/m664a5b3c8f20
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